あいをうたう


言葉の感性が好きなミュージシャンの話。
キリンジ兄弟とASKAさんと畠山美由紀さん。
でも、キリンジASKAさん・畠山さんとでは「好き」のベクトルが異なる。
 
畠山さんは、女性の情念が程よく感じられる。
「雨は憶えているでしょう」の歌詞がとても好き。
「もしもまた降る雨が私だったら
 その時もまだきっと その雨は憶えているでしょう
 貴方を愛した事と こんなに幸せだった事」
この雨はきっと、緑を柔らかく彩る霧雨。
馥郁たる香りで胸が満たされるような。
 
ASKAさんは、まっすぐ恋愛感情に結びつく「好き」。
「僕はすっかり」の歌詞に悶えたものですよ。
「愛してくれなきゃ いじわるもできないよ
 今 僕はすっかり きりんの首になって
 君の言葉に じれるだけだよ」
こんな事を言われてみたいなぁ・・・と心から思う。
相手に依存するのではなく、委ねる愛情。
 
御二方どちらにも共通しているのは、とても主観的だと言う事。
何も通さずに、自分の目で見て、感じた事。
それを何のフィルターも通さずに言葉を紡いでゆく。
 
対してキリンジの歌詞は、どこまでも客観的な気がする。
恋愛をしていても、失恋をしていても。
恋愛に限らない歌が多いというのもあるかも知れないけれど。
あらゆる感情を、自分自身ではなくて他者的な視点で描く。
例外的に「Drifter」みたいな、キリンジにしてはまっすぐな
とてもストレートな恋愛の歌もある。
それだって、他のミュージシャンに比べたらとても捻くれている。
「たとえ欝が夜更けに目覚めて 獣のように襲い掛かろうとも
 祈りを鴉が引き裂いて 流れ弾の雨が 降り注ごうとも
 この街の空の下 貴方がいる限り 僕は逃げない」
「愛」と言う言葉を使わずに、でもはっきりと愛を告げる言葉。
自分の感情をそのままではなく、一旦何処かに投げ出して
また咀嚼して、と言うフィルターを通している気がする。
厭世的という訳でもなく、冷めている訳でもなく。