ことば、うちとそと


(写真は内容と関係ありませぬ)
 

眠い頭で、忘れないうちに。
私は翻訳と言うものがうっすらと好きだ。
中学高校の授業の予習でやる程度の翻訳だったけれど。
外つ国の言葉の連なりを読んで、自分の母国語にすると言う作業。
単純に単語単語で割り切るのではなくて、
自分で意味がより通りやすい、心地良い文章にするのが好きだった。
外国語を母国語に「ほぐしてゆく」と言う感じ。
 
同じ理由で、翻訳された文章も好きだ。
これが小説などの長文になるととても苦手になるのだけれど。
訳者の言語エッセンスもそうだし、何と言うか
外国語特有の言い回しの残り香にぞくぞくするのだ。
日本語なんだけれど、あまり日本語ネイティブの方の文章では
お目にかからない言葉回しだなぁ、と言うか
修飾の文言が多いというか。
多分、こう言う「自分が良く読む文章と少しだけ違う組み立て方」
がなされた文章を読み続けるという事に慣れていないだけかも知れない。
訳者の方のエッセイはとても面白く読めるし。
岸本佐知子さんと言う方のエッセイが兎に角変てこで面白い。
翻訳を生業とされている方の苦労と言うか、心境と言うか
そう言ったものも垣間見られて面白い。
字幕の翻訳をなさっている方のエッセイも面白かったなぁ。
「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」と言うエッセイ。
その言語のエッセンスを残しつつ、しかしながら日本語としておかしくなく、
かつ「字幕」と言う、目で追う(字数が限られる)言語にする事の難しさ。